http://twitter.com/#!/mune0427
(nuregarasu23から)
(criedalittleから)
(出典: ForGIFs.com、nuregarasu23から)
kagurazakaundergroundresistance:
socks1.jpg(via mcsgsym)
(via highlandvalley)
(via petapeta)
(via akaganesaru)
(via kuroamemo)
(via rorotom)
5/3に広島mugen5610で開催されるVanishing Point presents CLUB SNOOZERのフライヤーを制作しました。
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5/3(木祝)
Vanishing Point presents CLUB SNOOZER
広島市中区薬研堀1−4 mugen5610 2F
【スペシャルゲストDJ】
田中宗一郎
田中亮太
【バニポDJs】
filmout / kenchi / mr.tanaka / cou / norincho
【About CLUB SNOOZER】
音楽雑誌『SNOOZER』、2011年6月、終巻。なんですがそんなの関係なくクラブ・イべント“CLUB SNOOZER”はあいもかわらずに全力で続行中!!そもそも当パーティは、その歴史は雑誌よりも古く95年にスタート。以降、15年以上にわたって全国各地のポップ・ミュージック、ダンス・ミュージックを愛する、オープン・マ インドなクラウドと最高の夜をつくりあげてきました。現在のDJは、立ち上げ時からのパーティ主宰にして、ごぞんじ元『SNOOZER』編集長の田中宗一郎と、“SECOND ROYAL”などでもプレイする京都在住の田中亮太の田中ふたり。ロックンロール、ハウス、ポップス、インディ・ロック、テクノ、ヒップホップ、パンク、 ブレイクビーツ、オルタナティヴ、スカ、etc…あらゆるジャンルをミックスしていく二人のプレイは、時に熱狂の渦に、時にロマンチックな桃源郷に、今夜もフロアを七色の世界へと導くこと必至! いろんなワンダーが連続していくパーティを約束します!!
(出典: lifehandsyouoranges、mightyflynnから)
我が内なる
チャーリー・ブラウン
詩人 谷川俊太郎
『ピーナッツ』の登場人物たちとつき合い始めてから、もう10年近い歳月が過ぎ去った。チャーリー・ブラウン、ルーシーも、スヌーピーも、なまみの人間ならとっくに大人になっているところだが、彼等は私とちがって、ちっとも年を取らない。チャーリー・ブラウンは相変わらず野球に敗れつづけ、ルーシーは相変わらずシュレーダーに失恋しつづけ、スヌーピーは相変わらず英雄を夢見てる。彼等は一貫して、がんこに自分でありつづけている。
そんな彼等にあきあきしてもよさそうなものだが、不思議なことに私たちは退屈するどころか、彼等の同じ失敗、同じ利己主義、同じ愚かさ、同じ夢に共感と愛情持ちつづけている。むしろチャーリー・ブラウンがチャーリー・ブラウンらしくなくなったら、スヌーピーがスヌーピーらしくなくなったら、私たちは裏切られたような感じで怒りだし、本を投げ捨ててしまうかもしれない。私たちは彼等が彼等自身でありつづけるところに、人間にとって避けることのできない、ひとつの真実を発見してるのだと思う。
一人の人間の性格と行動の一貫性、それは単に愛らしい表情やしぐさだけに描き切れるものではない。登場人物を意味する英語のキャラクターと言う言葉が、同時に特徴とか正確とかの意味をもっているように、私たちはチャーリー・ブラウンやルーシーや、ライナスや、スヌーピーを、単にその姿の面白さだけで愛しているのではないだろうし、作者シュルツの苦心も、彼等一人ひとりでの姿やしぐさと同時にその心をも描こうとするところにあると思う。
靴やシャツやコップやハンカチやシーツや時計やチョコレートやラジオや、『ピーナッツ』の登場人物の姿を、私たちは今や、ありとあらゆる商品の上に、見ることができる。漫画は一行も読んだことがない人々も、チャーリー・ブラウンやルーシーや、スヌーピーと顔なじみだ。だからそういう人たちは、彼等かわいらしさは知っていても、彼等のさびしさや愚かさや夢は知らない。それでは彼等を知ったことにはならないのだ。
『ピーナッツ』の生まれ故郷、北米では、『ピーナッツ』は子どものものであるともに大人のものでもある。ちょうど、『マザー・グース』がわらべうたでありながら大人の心に根をおろしてるように。『ピーナッツ』という漫画の、心を読み取ることができたら、そこに含まれている人間の劇を読みとることができたら、子どもの姿をとりながら、その登場人物たちがどんなに自分自身に近いかということに、大人も気づかざるをえないだろう。
日本でこの漫画の読者層が子どもにかたよっていることが、私は不思議でならない。日本のなまじっかないわゆる劇画よりも、『ピーナッツ』ははるかに成熟した作品なのである。性や暴力や荒唐無稽なお話のかわりに、ここには人間のリアルな心理がある、洗練されたユーモアがある、北米と日本という社会的な状況や文化的な背景の差異を超えて、それらはもっと普遍的な人間性に根ざしていると私は思うのだが。
何度失敗しても自分自身でありつづけるしかないチャーリー・ブラウンの愚かさを笑うことで、私たちは自分の中のチャーリー・ブラウンに気づく。彼は気が弱いくせにしぶとく、ちっとも成長しないかわりに自分に忠実だ。自分をいつわらぬという一点で彼はひとりの英雄ですらあるのだ。
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